どーも。
前田王子です。
今回は「期待」という言葉について深堀していきます。
日常生活において、期待することや期待はずれになることって色々あります。
でも、「期待って何?」と聞かれると、意外と説明できなかったりするものです。
ということでまずは、辞書で調べた「期待」の意味から。
期待 とは・・・
1. ある人がそれをするのを(他の人が)あてにし、心待ちに待つこと。
2. 将来それが実現するように待ち構えること。
意味が二通りあって、1つ目は、「誰かが何かをしてくれるのを待つ」という感じの意味で、2つ目は「自分の行いに対しての期待」となっています。
一般的には、どちらかというと1つ目の意味で使われることが多いように思います。
僕自身も、「期待」という言葉にはどこか他力本願な印象を持っています。
ですが、期待していたことは期待通りになって欲しいし、期待した全てのことが期待はずれになって欲しくありません。
今回は、期待という言葉を深掘りして、期待したものがちゃんと期待通りになるようにできるための「期待の方法」について書いていこうと思います。
期待の守備範囲
①宝くじを買った時、高額当選することをどのくらい期待するでしょうか?
②占いサイトを見た時、相性がいいという結果がもらえた時、どのくらい期待するでしょうか?
期待という言葉は、↑で書いたようなシーンで使われることが多いと思います。
そして、このような期待の使い方をする時、期待が外れた時にはガッカリするのではないでしょうか。
では、
③1ヶ月間頑張って糖質制限ダイエットをしてみたとして、1ヶ月後の自分に何を期待するでしょうか?
この場合には、期待できる範囲は「体重」という常識の中から算出されることになるので、-3〜-5kgくらい体重が落ちることを期待するのかなと思います。
①と②の期待については、期待通りにことが進むことは難しいはずで、③の期待については、期待通りにことが進む可能性が高いはずです。
「期待」という想いが期待通りになるには、③のフォーマットで期待するといい、ということが見えてきます。
では、①②と③の違いって何なのでしょうか?
これはズバリ、主語が「自分以外」か「自分」かの違いとなっています。
①宝くじを買った時、高額当選することをどのくらい期待するでしょうか?
→宝くじ が 当たるかどうか
②占いサイトを見た時、相性がいいという結果がもらえた時、どのくらい期待するでしょうか?
→相性 が いいかどうか
これに対して、
③1ヶ月間頑張って糖質制限ダイエットをしてみたとして、1ヶ月後の自分に何を期待するでしょうか?
→自分 が 糖質ダイエットをやったかどうか
となります。
つまり、期待したことが期待通りになるためには、主語を「自分(私は)」にする必要がある、ということになります。
逆に言えば、自分以外に期待を寄せても、期待はずれになることが多い、と言えます。
期待との距離感
期待したことが期待通りになるためには、主語を「自分」にすればいいわけですが、では、自分に対してどのくらい期待できるものなのでしょうか?
例えば、TOEICで800点を取りたい!という目標がある人が、毎日のように単語帳を開いて勉強していたとします。
その人は一生懸命に単語を覚えて、2冊の単語帳を覚えました。
と、頑張って勉強をした自分に期待をしています。
では、結果はどうなるかというと、この場合の「期待」は期待はずれになりやすいです。
(例えがざっくりしてるのは置いといて)
TOEICで高得点を取るために、単語力が必要なのは当然なのですが、単語力があることとTOEICで高得点を取るということはイコールではありません。
単語力≠TOEICで高得点
この場合の期待は、①と②の期待の価値観と似ています。
単語帳を2冊覚えた場合に期待できることというのは、「単語帳2冊分の単語力が身についた」であって、それ以上を期待するのはお門違いです。
ダイエット器具を買う時にダイエットが成功することを期待しますが、それと似ています。
ダイエット器具が痩せさせてくれるわけでもないし、単語帳がTOEICの点数を上げてくれるわけでもありません。
こんな感じの、期待のギャップを持っている人が結構多いです。結構多いですし、僕もしっかり通った道なのでめちゃくちゃ気持ちが分かるんですが、、、期待しちゃいますよね。
だって期待させるようなこと言ってくるんだもん 笑
でも、期待していい範囲を理解していないと、過度な期待を持つことになって、結果として期待はずれな未来を迎えることになってしまいます。
先日、うちの母と話していた時のことですが、僕が最近顔のツボ押しにハマっていて、その結果顔の緊張が取れて、顔が軽くなった、という話をしたところ、
いや、それは知らん。
顔のツボを押して血行が良くなった結果、ほうれい線も薄くなったりする効果があるのかもしれんけど
ほうれい線が消えるかどうかは知らん。
その場はうっすら苦笑いをしといたわけだけど、こんな感じで期待の範囲をはみ出ちゃう期待をする人っています。
そんな母の子である僕もまた、息を吸うように過度な期待を抱く人でした・・・。
期待していい部分と、期待の範囲外を知っておかないと、ついつい期待して期待はずれな結果を迎えてしまいます。
基本的には練習でやった以上のことはそうそう起こるものではないのですが、たまたま宝くじが当たったり、SNSでバズったりと、まぐれ当たりが存在するので、ついつい期待してしまう気持ちもめっちゃ分かります。
でも、期待していい範囲での期待でないと、期待はずれになる可能性の方が高いです。
期待していい範囲とは
では、期待していい範囲、期待通りになる部分というのはどこになるのでしょうか?
例えば逆上がりができない子が、
とか、ヨガを習い始めた人が、
という期待であれば、期待通りの結果をもたらすことは可能です。
ちなみに鳩のポーズはこんな感じ。
ただ難易度の高いポーズなので、初めて数ヶ月でできるようになる、というわけでもありません。
「期待する」というのは「思い通りになる」ということとは違います。
”今すぐには思い通りにならないことだけど、いつかそうなると信じて行動すること”
を「期待する」と表現するとしっくりくるように思います。
期待通りになることを信じていると、いつしかそれが過信になって期待はずれが訪れますが、日々の変化を感じていたら、その変化を実感するごとに期待が持てて、未来の期待がイメージ化されて期待通りになっていく、言語化するとこんな感じです。
青汁を毎日飲んでいるから健康になれるわけではなく、自分の体が良くなっているのを実感していくから、未来に期待が持てるわけです。
期待には要注意
「きっと〇〇が私を△△してくれる」という角度の期待は、確かに「期待」という言葉で表現されるので厄介なんですが、期待通りにいかないことが確定している期待です。
この手の期待を持つ癖がつくと、ついつい(期待通りにならない)期待をして、期待通りにならずに
という状態に陥ってしまいます。
「期待」という言葉にこんな二面性があることを知らずに期待してしまうと、ほとんどの場合期待はずれな結果が訪れます。
なんかこの手のトラップが多すぎてホント腹立つんですが、まずは理解するところから始めていけば、期待した未来も手に入れることはできます。
プロ野球なんかでも、「期待の新人」なんて言葉を普通に聞きますが、その場合の期待は、期待はずれになる方の期待を使っています。
そして、期待された方としても、期待の熱量を正面から受けてしまうと辛くなってしまいます。
他人に向ける期待と心配というのは表裏一体というか、なんか他人の行動に一喜一憂するような、そんな言葉が当たり前になってしまっている現代社会って、よくよく考えると怖いよなーなんて思う今日この頃でした。