どーも。
前田王子です。
幸せ
って、一体なんなんでしょうか?
「幸せ」と一言で表現することは簡単ですが、幸せを説明するとなると非常に難しいです。
鑑定を依頼される方の中で、幸せになりたいはずなのに、なぜか不幸になる選択ばかりをしてしまう人たちがいます。
かく言う僕もそこ出身ではあるので、非常に気持ちが分かります。
頑張っても頑張っても、なぜ幸せになれないのでしょうか?
幸せは、誰が感じるもの?
当然の話ですが、あなたが幸せを感じる時、あなたは幸せな状態です。
つまり、幸せを感じるのはあなた自身です。
僕は、お酒を飲みながらゲーム実況や映画を見てる時、「幸せやな〜」って思います。
他にも、相談してくれた方の悩み事が解消して、スッキリした時や、その後の嬉しい報告をもらった時も「幸せやな〜」って思います。
そうなんです。
幸せというのは、自分自身が感じるもので、それは自分自身の行いを通して得られるものだということです。
こう言語化してみると、至極当たり前に聞こえますが、いざ「幸せになろう!」と思ってみても、幸せを手に入れることは難しいんです。
なぜか不幸になる人の心の中
では、なぜか不幸になってしまう人たちの心の中は、一体どうなっているのでしょうか?
その人たちは、不幸になりたいのでしょうか?
当然のことながら全くそんなわけはなく、なぜか不幸になってしまう人たちも幸せになりたいと思ってはいます。
でも、なぜか不幸になってしまうんです。
これを解く鍵は、先ほど書いた
幸せは誰が感じるか?
というところにあります。
幸せになりたいと思いながら、なぜか不幸になってしまう人たちに共通するのは、自分の幸せではなく、他人の幸せのために行動しています。
もっと具体的に言うと、
他人の幸せ(だと本人が思っているけど実際は違う)のため
に行動しているんです。
人に尽くすことが自分の幸せだと思ってすり減ったり、自分が引き下がることで相手を立ててしまって、結果として自分が不幸なポジションに就こうとします。
そして、このような現象は、生年月日による先天的な性質にはありません。
先天的な性質を全うしていれば、本来であればストレスフリーな生活が送れます。
なのに、なぜか不幸になってしまうということは、それは先天的ではなく、後天的に身についた性質だと言えます。
先天的素質と現状のギャップ
先天的素質というのは、いわゆる「生まれつきのもの」というやつです。
三子の魂百までなんて言葉がありますが、先天的素質は一生変わることがありません。
ですが、先天的素質を頑張って捻じ曲げることはできます。
リハビリによって社会復帰ができるように、負のリハビリによって先天的素質を曲げてしまうわけです。
天真爛漫で型にはまることが苦手なタイプの命式の子の親が、生活指導の先生だったり、規律を重んじる職の方の場合に、先天的素質というのは簡単に捻じ曲げられます。
捻じ曲がった子供は、心の底に違和感を感じながら生活していくことになりますが、違和感はどんどん膨れ上がって、やがて決壊します。
少し前に「四角いスイカ」のニュースを見たのですが、まさにそんな感じですね。
本来、放っておけば甘くて丸いスイカができるのですが、手間暇をかけて四角くします。
そしてひどいのは、四角いスイカは甘くないので食用に向かない上に、きれいな(製品となりうる)スイカに仕上がるのはそんなに多くないとのこと。
スイカなので笑ってられますが、自分の身にこんなことが起こっていると分かったら・・・やってらんないですよね。
自分の人生を生きてみよう
大人にとって、自分の人生(先天的素質から来る人生)を生きるというのは非常に難しいことです。
僕も大人になって思うのは、気がついたらもう大人になっていて、気がついたら色々な社会的なしがらみや人間関係、思考のクセが身についてしまっています。
これらを邪魔者として扱うのではなく、それすらも自分の人生に必要なものとして、自分が自分であるための栄養として取り込むことが、自分の人生を生きるということだと思います。
幸せになりたいと願いながらもなぜか不幸になってしまう人は、一度自分の置かれている環境、育ってきた環境を振り返ってみるとヒントがあるかもしれません。