将来や今後について

運命は決まっているのか、決まっていないのか

どーも。

“改”運トレーナーの前田王子です。

 

一般的に「占い」というものは、未来のネタバレを求めているというか、楽して幸せになりたい人ホイホイみたいな節があります。

占いでパパッと未来でも見てもらって、運命の人が現れるその時まで待つ、みたいな。

でもそれって実はめちゃくちゃ現実離れしていて、普通に考えてそんなことは起こり得ないわけなんですが、なぜか「占い」というヴェールに包まれると、そんなこともできてしまうような錯覚を起こします。

 

運命というものがあるとすれば、それは決まっているようで決まってなくて、決まってないようで決まっているんだけど、やっぱり決まっていないものです。

 

こういう書き方をすると、

 

決めつけたいA君
決めつけたいA君
どっちなんだよ!

 

という指摘が来そうですが、「運命というのは決まっている!」と言ってしまえば、じゃあ努力は必要ないのか?ということになりますし、「運命は決まっていない!」と言うならば、じゃあ努力すれば叶うのか?となります。

でも、そのどちらでもないこともあるし、どちらも起こりうるものでもあります。

例えば、中肉中背の40代男性がどれだけ努力を重ねても、女性アイドルグループに加入できる未来はありえません。

とはいえ、もしかするとその努力が認められて、しつこく履歴書を送っていたことがネタになって、女装おじさんによるユニットが組まれる話になるかもしれません。

 

では、占いでそういう目が出るのか、という話なんですが、もしかしたら出ているのかもしれません。

でも、占い師が見落とします。見落とすというか、見落とす見落とさないの話じゃなくて、そんな可能性に気付けるはずがないです。ホントそれは占い師の腕の問題ではなくて、想定の範囲外過ぎるという意味で。

そして、もし仮に、

 

本物?の占い師
本物?の占い師
しつこくしつこくしつこく履歴書を送れば、願いは叶うはずですよ・・・

 

と言われたとしても、それを信じて40代になるまでの20年以上履歴書を送り続ける人はそういないです。

個人的な意見ですが、履歴書を送る「しつこい」回数って、恐らく10回くらいです。

25回目に通るとして、それを信じてやり続けられるか?という問題があります。

 

その場合は、「その未来は確実に来る」ということが分かっている前提である必要があります。

未来が確実に分かっているから、安心して続けられるわけです。

ゴールのあるマラソンだから走ることができる、みたいな感じですね。

 

昔、新興宗教が流行っていた時代に、「この壺を買うと幸せになりますよ」みたいな話がありました。

普通に考えれば、壺がどうやって人の行動を変えるんだ?となるところですが、結構買った人がいたそうです。

 

「運命」という不確かな未来があって、いつか不幸になってしまうかもしれない・・・という世界観ではなくて、単純に、人の頭の中には不安を感じる機能があって、不安状態を解消したい、という心理があるので、「分からないこと」に対して不安を覚えるわけです。

ですが、「分からないこと」に対して不安になることができますが、「知らないこと」に対しては、不安を抱くことができません。

隣の家でボヤ騒ぎがあったとしても、そのことを知らなければいつも通りの日常です。

隣の家が燃えてる!と気付くから、「ヤバイ!」と思うことができます。

 

つまり、認知してしまったことに対してのみ不安を抱くことができるわけで、「運命」というのも、人間の不安からつくりだされた概念だと思うんです。

 

なぜなら犬や猫は運命を憂いて凹まないわけで、つまりそれは、「運命」という概念を知らないからです。

そして、人間は言葉によって記憶に連続性をもたせることができる、つまり、ブツ切りの断片的な記憶ではなくて、ストーリーとしての記憶を持つことができてしまうので、「運命」というものを認知することができて、憂うことができてしまうわけです。

 

 

未来に対して不安がある状況だから、その不安を解消したくて占い師に未来を見てもらう、という行動を取るわけですが、未来というのは、先にも書きましたが決まっているようで決まってなくて、決まってないようで決まっているんだけど、やっぱり決まっていないものです。

つまり、決まっていないです。

 

決まっていないものに対して、「もしダメだったら・・・」と顕在化(今まで目には見えずに隠れていたものが見て分かる状態になる)させてしまうから不安になってしまうわけで、不安になってしまうから、不安を助長するものに目が行くようになって、最終的に身動きが取れない程に行動制限がかかってしまう、という順序になっています。

 

でも、よくよく考えてみれば、そうなった経緯というのは、存在してもいない「運命」という名前の未来を勝手に想像して、未来に対するマイナスイメージを頭の中で作ってしまったからに他なりません。

とはいえ、人間の頭には「不安は解消したい」という機能があるので、不安があれば解消したくて、解消できなければ解消できるように悶々とするわけです。

ただ、大前提として、未来というのは現在の積み重ね、現在における選択の積み重ねなので、未来を憂うというのは、実は全く意味のないことだったりします。

 

 

それよりも、現在のベストパフォーマンスが出せているかどうか、そこに焦点を定めていくと、その積み重ねが未来になっていくわけで、自ずと上手くいきます。

よく、何にも考えてなさそうな人の方が人生よろしくやってそうでイラッとするようなことってありますが、「何にも考えていない」のではなくて、「(未来の不安に対して)何も考えていない」ということだったりします。

だから、何も考えてなさそうな人の方が、必死であれこれ考えてる人より幸せ度が高かったりするわけです。

 

何も考えるな!

 

ということではなくて、「運命」という仰々しい言葉で、あえて不安を顕在化させるような現代社会なので、そこに対応していかないといけない、という話です。

 

「運命」という言葉をあえて使うなら、「運命」なんていくらでも変えられます。

なぜなら、「運命」というものはそもそも決まってすらいないからです。

ただ、現在の積み重ねの結果が「未来」になるというだけで、何も策を講じなかった未来、対策が間違っていたことに気がつかずに迎えた未来というのが、安い運命論に見合ったしょうもない未来というだけです。

選択を間違えてはいけないということでもなくて、昨日より今日、今日より明日、明日より明後日と、ほんの少しずつ、誰も気づかないような少しの違いを積み重ねた結果が、より良い未来を作るのだということです。

ABOUT ME
前田王子
四柱推命と易を使う占い師。 占い歴12年。 陰陽五行の知見と心理学・脳科学を使って、運が良くなる考え方を発信しています。 運が良くなると、人間関係や恋愛、お金や仕事など、人生の全ての歯車が噛み合います。 そんな前田王子ならではの目線でお送りするブログです。

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