どーも。
“改”運トレーナーの前田王子です。
巷の占いの本って、やたら運を味方につけたがるじゃないですか。
僕も占い師ではあるんですけど、正直それってどーなの??って思うんですよ。
拙書の「開運体質のつくりかた(笑)」でも書いてますが、僕は「運」というのは、ただの概念だと捉えています。
なぜって、「運も実力のうち」という言葉はありますが、「実力も運のうち」とはならないからです。
大幅な実力差がある時、例えば偏差値30くらいの人がセンター試験を受けた時に、運良く全教科で90点を叩き出すなんてことはありません。
全教科で90点を取る実力がある人が、運良く95点や100点を取ることがあるくらいなもので、実力差が大きく存在するところに運はありません。
と、そんなことを言ってる僕ですが、かつてはスピリチュアルや引き寄せの法則や、その辺のキラキラっとしたフワフワっとした話をガッツリ通ってきた過去があり、「強く願えば叶う!」と信じてただ願うだけで、結局何も行動してこなかった人でもあります。
つまり、実力もないのに努力もせずに、運が良くなればいつか夢は叶うんだ!とか思ってた人なわけで、当時を思い出すと恥ずかしくなるし、できれば思い出したくない過去だったりします 笑
もしずっと当時のままだったら、力もなく知識もないくせに、一丁前に何かを否定するような界隈のアンチにでもなっていたかもしれないと思うと僕も運がいいのかな〜なんて思います。
というわけで、「運を味方につける」ということを深掘りしていくわけですが、運って一体どうやって味方につけるものなんでしょうか?
運は誰の味方?
日本語ってホント面白いというか、難しいというか、不思議な言葉です。
「運を味方につける」
という言葉がりますが、そもそも「運」って誰の味方なんでしょう?
もし、運があなたの味方じゃないのだとしたら、あなたの嫌いな人に味方してるんでしょうか?あなたと敵対している人の味方なんでしょうか?
「運を味方につける」という言葉は、あたかも何かの儀式をすることで、運があなたに味方をするような印象を持ちますが、「運」というエネルギーがもし存在するとしても、それは、まずは誰の味方でもないはずです。空気みたいなものというか。
「運」の話をする時は、筋肉で考えると分かりやすいのですが、例えば大胸筋の神様が、今日のベンチプレス10回を、20回分の効果におまけしてくれたら、きっとそれは運がいいですよね。
でも、もしそんなことをされても筋肉が悲鳴をあげるだけで、トレーニングというのはその人のレベルに合っていることをするからトレーニングなわけです。
もし「運」という存在のせいでそんなことが起こるのだとしたら、きっと「運」はもっと扱いが違っていたと思います。
もし「運」がランニングの効果を3倍に上げくれたとしたら、
となるだけです。
昨日は余裕で走れていたのに、今日やたらと息が切れる・・・なんてことが起こったら、きっと病院に行くことを検討するのではないでしょうか。
運は、例えば楽天ポイントみたいなモノ
僕としては、「運」という言葉はもっとアップデートされるべきだと思っています。
「運」という概念があるから見えなくなってしまう現実があって、「運」という期待によって、研鑽を軽んじてしまうところもあって、「運」という言葉は、意外と弊害の多い言葉だったりします。
「運」という概念・価値観は、非常に分かりにくく、特にスピリチュアルに毒された経験のある人は、「運」という未知のステータスを上げたがります。
ですが、「運」が良くなって日頃の行いの効果効能が良くなるのだとしたら、先ほどの筋トレの例のようなことが起こっても文句は言えないです。
車を買ったら、運良くカーナビが2個ついてた!なんてことは起こらないし、それは運がいいわけではないですよね。
運は、必ずしも何かが増えていたり、自分の都合のいいことが起こるという価値観で捉えてしまうと、脳が混乱してしまいます。
「運」という概念を分かりやすく例えるとするならば、楽天ポイントみたいなモノと定義するといいと思います。
買った値段(実力)の5%ついてくるなら、買った値段が高ければ高いほど、運(ポイント)も増えます。
そして、溜まったポイントは、ポイント内で買える商品と交換できます。
僕らが「運」だと思っているものの性質って、それに似たようなところがあるように思いませんか?
運が味方についてる人の思考回路
楽天ポイントってつい使うのを忘れていて、ふと気づいた時に、
って時ありますよね。
でもそれって、長い間貯め込んだからであって、貯めようとして貯まったものでもなくて、なんなら期間限定ポイントとかで消滅したものもあったりして、計画的にコントロールしたわけではないです。
そして、めっちゃ貯まってる!とは思うものの、かといって、今一番欲しい車が買えるほど溜まってるわけでもないし、いざ使おうと思ったら勿体なくてなかなか使えなかったり、別にそのポイントを使わなくても生活に支障をきたすような状況でもないから、とんでもなく重要なものでもないんです。
逆に、運(楽天ポイント)を求めてしまうと、お買い物マラソン達成のために、いらない美容用品を買ったり、贅沢なレトルトカレーを買ったり、リボ払いに変えたりと、楽天ルールに振り回されることになります。(人によるけど)
なんか、運が良くなると言われる縁起物を買ったものの、結局ゴミになるパターンに似てますね 笑
「運が味方についてる人」というのを楽天ポイントで例えるならば、日頃から楽天カードで支払いをしているから、楽天からの感謝という意味でのポイントが付与されていくわけです。
そして見返り(ポイント還元)を求めないから、ポイントが消滅する時のメールで
という行動が取れる人と言えます。
つまり、楽天で買い物をしているからまず楽天に感謝されることになります(ポイントがつく)。そしてそのポイントを、自分以外の人にも分けてあげる。こうした行動を取っているから、何かしら良いことが返ってくるのです。
楽天ポイントが余ってたからってお歳暮でも送ってくれる人がいたら、何かあったらその人にお返ししてあげたいな〜って思うのが人情だと思いますし、そんな人が周りにたくさんいたら幸せだとも思います。
では、楽天ポイントが余ってた時にお歳暮でも送ってあげたくなる人って、どんな人なんでしょうか?
本当に運がいい人
気付いたら楽天ポイントが
ってなってる人のことを、運がいい人とした場合、その楽天ポイントが余ってた時にお歳暮でも送ってあげたくなる人は、一体どんな人なのでしょうか?
それは、その人が「お返しがしたい!」と思うほどの行為をしてくれた人ということになります。
つまり、めっちゃいい人ってことですね。
その「めっちゃいい人」は、運がいい人からの感謝をもらっているわけで、これは相当の人だと言えます。
僕としては、一番目指すべきはここなのかなと思っています。
例えば何かめっちゃ困っている時に、例えば何かでめちゃくちゃ悩んでいる時に、そっと手を差し伸べてくれて、その困り事や悩み事を解決に導いてくれる人。
そうやって人に優しくできる人が、いちばん人を幸せにできる人だと思います。
久しぶりに連絡が来たと思ば優しく話を聞いてくれて困ってることを一緒に解決してくれたとなれば、助けられた側としてはもう感謝でしかないですよね。
人間関係の中での「感謝」という楽天ポイントを貯めることができる人にこそ、幸運というのは降り積もっていくのだと思います。