どーも。
占い師の前田王子です。
突然ですが、アナタは自分のことをどう思っていますか?
才能に恵まれた人でしょうか?
それともごくごく一般的な The凡人でしょうか?
そりゃね、一回聞いたことを全部理解できてこなせちゃうような才能や、見たこともない楽器をいきなり使いこなせちゃう才能なんてものがあったら是非とも欲しいところですが、そんなの期待してるならマンガの見過ぎです。
いや、夢と希望をあたえてくれるマンガは悪くないんですが、無いものをただねだってしまう側の認識不足ですよね。
そう、アナタの才能なんてのは、ただ自分の認識不足なだけで、全ての人は基本的に何かしらの才能を持っています。
だけど、それを認識できないという残念な世界観が、僕らが生きてる「現実社会」というやつなんですよね。
人は才能のない部分に悩む生き物
占い師として、日々いろんな人の相談を受けてます。
人それぞれ、いろんなことに悩んでいるわけですが、みんな何に悩んでいるかというと、才能のない部分に悩んでいます。
あ、念のために言っておくと、僕は四柱推命という占いを使う占い師で、四柱推命は生年月日を使います。
そして、四柱推命を使ってその人を見ると、生まれながらにして持っている強みや短所なんてものが分かります。
そういった世界観で話を進めていきます。
さて、才能のない部分に悩みがち、という話でしたが、それはどういうことかというと・・・
組織に順応できないタイプの人が会社組織の中で馴染めなくて苦しんでいたり、仕事の要領だけはずば抜けている人(優秀なプレイヤーとも言う)がリーダーを任されて身の振り方が分からなくなっていたり、変態で穿った見方が得意な人が、王道な表現をしようと悪戦苦闘していたり。
こんな感じで、自分の才能のない部分に悩みを抱いてしまうものなんです。
そして、そんな自分が情けなくて、どんどん自信がなくなっていきます。
自分の才能は認識できない
では、なぜ人は才能のない部分で悩んでしまうんでしょうか。
答えは簡単。
人は自分の才能(秀でた部分)を認識ができないからなんです。
なぜかって、人よりも優れた部分が自分にあったとしても、それって自分にとっては至極当たり前なことなんですよね。
ありがたいことに、僕のブログやYoutubeを見て、褒めてくれたり参考になったとコメントを書いてくれる方がいます。
ですが、当の本人は意外と自信が無く、割とドキドキしながら発信をしています。
こんなこと書いて怒られないだろうか・・・誰かを傷つけるんじゃないだろうか・・・みたいな感じで。
だけど、なんで発信するかと言うと、僕の発信に共感してくれる人がいることを知っているからです。
発信することは怖いけど、僕の発する言葉に共感してくれる人、元気になってくれる人がいるから、顔は見えなくてもその人たちのために書いています。
そして、僕にはその人たちを鼓舞する才能があるわけです。
だけど、日常生活においてそんなことを意識しながら、認識しながら生きてはいません。
言い方は悪いですが、そんなもんなんですよね。人間って。
占い師の僕がそんな感じで、「自分には才能がないんじゃないか?」と悩む人も多いわけです。
人って、自分の才能に気付かずに生活してるんですよ。
でもそれが決して悪いことでもなくて。
才能に気付かないことというのは、ただの当たり前なことなんです。
「無い物ねだり」
と言う言葉がありますが、当たり前のごとく「ある」と思っていないから、その「ない」と思える部分を欲しがるわけですね。
・・・え?才能?あるよ?
そんなわけで、「自分には才能がない」っていうのは割と一般的に思い込みがちなわけで、だからその空白を追い求めてしまいがちです。
アナタの才能って、本当にないんでしょうか?
先ほど、才能は認識できないと書きました。
それってつまり、酸素は見えない、すかしっ屁をした本人がバレてないと思っているようなもんなんです。
見えてないだけ、知らないだけなんですよね。
なぜって、当たり前すぎて意識すらしていないから。
ホント、単純なトリックなんです。才能って。
気付くか気付かないか、認識するかしないか、それだけなんです。
ということは、もちろんこれを読んでいるアナタにも当たり前のように才能があって、もし、自分には才能がないと思っているなら、もれなく当たり前すぎて意識すらしていないだけなんです。
つまり、アナタには何かしらの才能があって、認識できてないから使いこなせていないだけなんです。
ただ、自分が欲しいと思っている才能とは限らないってだけで、間違いなく才能があるわけです。
何度も言いますが、ただ気付いてないだけです。
才能に気付くか気付かないか。
ホント、ただそれだけの違いなんですよね。
そして才能に気付けた時、ようやく自分を上手に使えるようになるんです。
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