どーも。
前田王子です。
突然ですが、将来の夢ってありますか?
もしあるのだとしたら、それはどんなものですか?
そして、もし将来の夢がないのだとしたら、なぜないのでしょうか?
子供の頃は、将来の夢としてF1レーサーだったり野球選手だったり歌手だったりお花やさんだったり、大人から見るとありえないようなことを話してくれます。
では、大人になった現在、あなたの人生は子供の頃の夢通りになっていますか?
ちなみに僕はなっていません。
確か小学生の頃はJリーガーって言ってたんですけどね 笑
もはやサッカーもほぼ見ないですしね 笑(好きですけどね)
でも、世の中には子供の頃の夢を叶えている人がいて、さらに大人になってからも夢を見て、それを叶えている人もいます。
その違いは何でしょうか?
「夢」と言わないまでも、「願いごと」のレベルでも叶う人と叶わない人がいます。
この違いは何でしょうか?
具体的な想いと抽象的な願望
夢とか願いごととは言わないまでも、「明日は8時に起きるぞ」という予定はあります。
「〇〇に買い物に行く」とか、「〇〇さんに会う」といった感じの予定なら、日々ありますよね。
当然ながら、予定のことは「予定」だと思っているので、それが実現されることが当たり前だと思って生きています。
ここで変な質問をしますが、スケジュール帳の中に「誰かに会う」とか「北の方に行く」という予定が入っていることはありますか?
なかなかそんな人はいないと思います。
それに、そんな予定を入れるくらいなら空白にしておくはずです。
実は、夢とか願い事を叶える上でも、このくらいの具体性が大事なんです。
フィギュアスケートの羽生結弦選手は、イメージトレーニングで勝ってガッツポーズを取るところまで入念にイメージするそうです。
実は、夢や願い事はそのくらい具体的でないと、スケジュールに書いた「誰かに会う」という予定のように、脳は正しく処理してはくれません。
特に願い事というのは、七夕の日に短冊に書いたりすることで有名ですが、その多くは非常に抽象的な願い事を書いています。
そして、それが由来と言ってもいいくらい、大人になっても願い事に抽象的な願望を当てこんでいる人が多いです。
それでは絶対に叶わないのに、誰も注意も指摘もフィードバックもしてくれないわけです。
僕も、この事実を知った時には割と愕然としました。
小さい頃短冊に「世界が平和になりますように」とか書いてましたもん。
逆に、短冊を見る機会があれば、超具体的な願い事をしている短冊を探してみると面白いです。
きっとその子は願い事を達成することでしょう。
願い事ベタが育つ理由
七夕の例にもあるように、日本人は、「願い事」のスキルが低い人が多いです。
そして、願い事が叶わない、うまくいかない、ということでスピリチュアルが流行っているというなかなかの国です。
パワーストーンを買っても、玄関に龍の置物を置いても、「願い事」の精度は上がりません。
では、なぜ願い事ベタが多いのでしょうか?
それは非常に簡単なことで、周りに願い事が叶っている人がいない、ということです。
だから上手な願い事の仕方を学んだり真似たりする機会がありません。
そして、学校などでは雑に
「将来の夢は〜?」
と聞かれるので、特に何も考えずに思いついたことを書くわけです。
叶う「願い事」を構築するためには
叶う願い事を構築するためには、特に大人になってからはトレーニングが必要です。
逆に言えば、トレーニングさえ積めば誰でも願い事の精度が高くなっていきます。
具体的なイメージができればいいわけですが、かといって具体的なイメージさえできれば何でもいいのか?と言われると、そういうわけでもありません。
精度の高い願い事のポイントとしては、
- 実現可能であること
- 具体的であること
- 言語化できること
以上の3点が揃っていることが肝心です。
先ほどの短冊の写真には「いつまでも元気で!」と書いてありますが、
- いつまでって、いつまで?
- 元気っていうのはどういう状態?
という部分が抽象的です。
これが例えば「100歳まで畑仕事をする!」ならば、だいぶ具体的になり精度が上がります。
ただ、70歳の人にとって100歳の時をイメージできるか?という問題もあるので、本来ならさらなる細分化が必要になります。
なんてことを言ってたら、叶う願い事も叶いません。
願い事は、正しく行えば叶うものです。
もし願い事が叶わないことが、ただの知識不足なのだとしたら・・・
せっかく頑張ってるのに、その延長線上に成功が用意されていないとしたら・・・
僕はそういう世の中が大嫌いなので、これからも見つけてくれた人だけでも幸せになれるような投稿をしていきたいと思います。
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