みなさん考えたことあります?記憶ってどこにあるんでしょうか?
一般的には脳ミソの中の”海馬”って部分にあるとされています。
で、その中のニューロンっていう細胞が繋がったり切れたりして、記憶をとどめたり忘れたりする、というのが通説らしいです。
いやいやいや、無理があるでしょ!
たとえ細胞が非常に優秀で、記憶をどんだけでもストックできるとして。
直近のことを思い出すのは分かるけど、大昔のことを思い出すことって、もしそれが一回も思い出すことのない記憶だった場合、その記憶を細胞がストックしておく必要が無いじゃないですか。
新陳代謝してる人間の体が、そんな非効率的な動きをするとはとても思えません。思い出したことが無いならそんな情報はウンコと一緒に流した方が要領がいい!
なのに記憶は、思い出そうとすれば遡って思い出すことができる。(細かい部分で違ってることもあるけど)
記憶って、ホントに頭の中にストックされてるんでしょうか?
ずっとこのテーマについては疑問でした。
かといって、僕は科学者ではなくて占い師です。
なので、あくまで占い師の目線で、記憶がどこにあるのかについて考察してみたいと思います。
ドナーの記憶
ドナーの記憶って聞いたことありますか?
記憶転移とも言いますが、臓器移植を受けた人の記憶が、ドナーの記憶を継承してしまうという現象です。
たまにテレビなんかでもやってますよね。この手の話。
不思議な話ではあるものの、症例が相当数あります。中には実際に思い出せる場所まで行って確かめた人までいます。
ウソだと一蹴してしまうには症例が多すぎるのと、これを否定してしまうと先に進めないので、ドナーの記憶は存在するとします。
序盤での話、記憶は海馬にあるのが通説とされています。
なのに臓器移植で記憶転移が起こる。
ということは、記憶は海馬以外にもある説が浮上してきます。
記憶は一体どこにあるんでしょうか?
前世記憶
前世って言葉はきっと誰もが聞いたことがあると思います。
「来世に期待だなw」などと今世を憂うフレーズなんかもあります。
映画「君の名は」の主題歌「前前前世」では、何回生まれ変わっても君を迎えに行きます!みたいな歌詞にロマンを感じたりもしました。
前世って言葉はあるけど、では「前世」ってホントにあるんでしょうか?
そして、前提として「前世」という言葉を発するためには、今世に生きている人が「今」に対しての「前」という構図でないと言うことができません。
となると、「前世」というのは今世を生きている人の頭の中にある、ということになります。
また、前世記憶を持つ人もいます。前世記憶がきっかけで犯罪が解決したケースも。
しかも、前世の人は血縁関係も無く、時には国籍も超えます。
生まれたばかりの赤ちゃんはまっさらなのに、どっかのオッサンの記憶を有しているということになります。(キレイな人の記憶かもしれんけど)
これがどういうことかというと、新規で契約したスマホに他人のgoogleアカウントやappleIDが入ってた、ということになります。
超怖いですよねこれ。
だけど、結構ざらにあるんですよこんな話。
催眠療法の世界では、退行催眠といって前世記憶に遡って、現世のトラウマを解消するという手法があります。
なんでか分からないけど異常に水が怖かったり、なんでか分からないけど異性が超絶苦手な人っていません?そんな人って前世で水難事故で死んでたり、女性なら娼婦を嫌々やってたりした前世があったりします。
話が逸れましたが、記憶が海馬の中にあるとするならば、前世記憶、特に血縁関係のない人の前世記憶はあり得ません。
なのに前世記憶という言葉が普通にあって、前世という言葉が当たり前に辞書に載ってます。
記憶って、ホントに海馬の中だけにあるモノなんでしょうか?
亡くなった人の記憶
これもどっかで一回は聞いたことがあるかもしれません。
・ひどい事故に遭ってもビックリするくらい無傷で九死に一生を得た
・夢で亡くなった身内の夢を見た後に、内定の通知が来た(受かる見込みはかなり薄いはずだった)
・亡くなったおじいちゃんの仏壇にお祈りをしていたら、ラッキーなことが起こった
みたいな話。
ちょっと漠然とした例しか浮かばなかったのですが「亡くなった身内に助けられた、と思えることが起こった。」という類の話です。九死に一生を得たようなケースも、ただ運がいいレベルじゃなくて普通なら死んでるよ?みたいな事故でも軽傷で済んだりして。で、その後に「きっと死んだおじいちゃんが助けてくれたんだと思います。」的なことを言うケースですね。
後は、絶対に受からないと言われていた受験なんかで、自分の採点でも受かってるとは思わなくて凹んでたら合格の通知が来てビックリ!みたいなケース。
で、その後に「きっと死んだ親父がサポートしてくれたんだと思います。」って言いたくなるような話ですね。
日本人なので、神仏に頼ったり、ご先祖様に感謝したりするのは全く違和感がないと思います。そして、きっと前述の感じで、ご先祖様や亡くなった身内の方は、何らかの形で現世に生きている人たちをサポートしてくれているんだと思います。ですが、今回の「記憶はどこにある?」というテーマにおいては大問題なんです。
もし仮に、死んだおじいちゃんがホントに助けてくれて助かったんだとすると、死んだおじいちゃんは何をもってその人を特定したのか?
という疑問が沸いてきます。人の記憶は頭の中の海馬に収納されているのだから。死んだおじいちゃんは、孫が事故に遭いそう。という認識がないと成立しないんです。となると、死んだおじいちゃんは何をもとに孫を認識したのでしょうか?おじいちゃん死んだときにはもれなく強火で焼かれていて、海馬はこの世に存在していないんです。
では、記憶はどこにあるのでしょうか?
ちなみに、歌舞伎役者の中村勘九郎さんがアメリカで公演をした時にもそんなエピソードがありました。
出番が来て、テンパりながらも飛び出そうとした時に、舞台袖の手すりに衣装を引っ掛けてしまいました。「こんな時に・・・!」と思ったそうなんですが、その直後に「あ、死んだ親父が見てくれてる!」と思えて冷静になれたと語っていました。
その公演は大盛況に終わり、勘九郎さん自身も「全力を以て臨めた」と手ごたえを感じた様子でした。それを聞いたインタビュアーの方も「素晴らしいエピソードですね」と言っていたのですが、これ今回のテーマに於いては大問題です。
この手のエピソードも、実はたくさんあります。
僕の話ではないですが、墓前に父が好きだったタバコをお供えして、箱のままじゃ吸えないと思い一本出して火をつけてお供えしたところ、吸ってるかのような勢いでタバコが燃えだしたという話しもあります。それはお父さんの霊が・・・という発想は容易いんですが、そこではなくてそのお父さんの霊はなにをもってタバコをタバコと認識したのでしょうか?
記憶は現世で燃えてしまっているんです。
臓器にも、まっさらなはずの赤ちゃんにも、燃えて無くなってしまった人たちにも、どうやら記憶があるような状況証拠が出てきてしまっています。
記憶とは、一体どこにあるのでしょうか?
王子の持論「記憶クラウド説」
これまでの例から、記憶はどこにあるの?という疑問が明確になったかと思います。
もちろん科学的根拠は何一つとしてないですが、少なくとも海馬以外にも記憶は存在できるんじゃないか?と思える状況ではあると思います。
となると、記憶はどこにあるんでしょうか?
占いを通じて、見えない世界や不思議なことをたくさん見聞きしてきました。
占いも、人の悩みを占い師が卦を立てたりカードを切ることで言い当てています。記憶がその人の頭の中だけにあるスタンドアローンなモノだとすると、占いという行為自体が荒唐無稽になってしまいます。
ですが実際は違います。人の(記憶に由来する)悩みを占術に投影するという日常で占い師はこのことを当たり前のように体験しています。
では、記憶とはどこにあるのか?
この問いに対して僕は、記憶は「クラウド」状になっているんじゃないかと考えています。
記憶は海馬だけでなく臓器にも、さらには空間を漂って存在できるということが状況から分かります。記憶は海馬にある!と唱えたのは遥か昔の話です。当時はインターネットの概念すらない時代。その前時代的な考えを未だに引きずっているようでは、新しい視点は生まれないんじゃないかと考えます。
もちろん科学的根拠はありません。
ですが、当たり前のようにインターネットを使って海外の情報を仕入れたり、空中を漂うwi-fiを使って小さな液晶画面に情報を表示することができる今の時代において、記憶やよく分からないエネルギーくらいそのへんに飛んでてもおかしくないんじゃないかって思います。
という記事でも書きましたが、技術の進歩によって神様はただの現象になります。
科学で解明されている事実だけで無く、実際に起こっている事を認めて新しい角度で物事を考察すると、この世界はもっと面白いモノになると思います。
何度も言いますが、科学的根拠は何一つありません。
ただ、突飛な発想でもその方が辻褄が合うこともあります。そして、その方がロマンがあっていいじゃない!と僕は思うのです。
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