どーも。
前田王子です。
東京での鑑定会を終えて、実際に読んでくださってる方々と話してみたら、きっと四柱推命とか陰陽五行とか、そういったものをちょっとかじってみたい、興味はあるけど本読むの大変だし・・・って思っている人が、結構いるんだなーってことが分かりました。
すっかり占い師が仕事になって忘れてたんだけど、生年月日見て命式作っただけで人のことあれこれアドバイスするのって、めちゃくちゃ非日常的なことだったんですよね。
僕としてはいつものことなので、何の疑問も抱かないようになってしまってたんですが・・・
改めて、バランス感覚って大事だなーって思うとともに、
変わった仕事してんな俺って思った次第です 笑
で、
陰陽五行とかを知りたいって、なんていうか、興味の部分もあると思うんだけど、何か変わるきっかけになるというか「変えたいから知りたい」みたいな意識があるのかなーなんて思います。
そんな人たちを後押しすべく、ちょっと踏み込んだ話をしてみたいと思います。
自分を変えられるのは自分だけ
タイトルにもある通り、そうなんです。
自分を変えられるのは自分だけなんですね。
だって、今生きてるこの世界は現実なワケで、めちゃくちゃにリアルなんです。
裏技とかそういうのがあるにはあるんですが、最終的に変わるという選択をして行動するのは自分です。
そして、そこを飛び越えること、0→1を作り出すことがめちゃくちゃ難しいんですよね。
痛みを伴ったり、嫌な思いをしたりするわけです。
だけど考えてみてほしいのは、蝶の羽化とか爬虫類の脱皮とか、見てると結構大変そうじゃないですか?
小さい生き物ですら変わることって難しいんですよ。
ならば、大きな生き物の人間が変わることって、絶対大変なんですよ。
で、蝶とか爬虫類とかも、姿が変わったら変わったで、自然に生きています。
そう、変わること(0→1をつくること)って、大変なんだけど、変わっちゃえば別に普通のことに成り下がるワケです。
逆に言うと人の力で人は変えられない
自分の力でしか変えられず、しかも人の力では変えられないもの。
それが「自分」です。
よく、セミナージャンキーになったり、ノウハウ収集家になったりする人がいます。
知識は持っていても、知っていることと出来ることでは、次元が違います。
例えるならば、ココイチの3辛の辛さは知ってるから、きっと10辛は痛いくらい辛いんだろうな。
というのは、正しい推理ではあるものの、どのくらいの痛みなのかは分かっていません。
死ぬほど痛いのか、死んだおばあちゃんに会えるくらい痛いのか、泣くほど痛いのか、実際に食べていないので分かり得ません。
だけど、きっとめちゃくちゃ辛いんだろうなってことは分かります。
だけど、経験としての知識ではないワケです。
3辛の延長線上の辛さを想像して10辛を想像するのは、ナンセンス極まりないわけです。
つまりは、やってから言えよ!って話なんですね。
知識という転ばぬ先の杖をたくさん用意するのはいいけど、何にもしないわけだから杖も何も、そもそも転ばないよね?
ということです。
この場合、杖というのは人の言葉とか、ニーチェの格言とか、ホリエモンが言ってたとか、そういう話です。
杖を集めるのはいいけど、ちゃんと転びなさいよ!ということなんですね。
で、ちゃんと転んだら杖使って立ち上がって、転ばないようにはどうするかを今一度考えようね!ということです。
そうすることが、学習であり学びであると思うんですよ。
羽化や脱皮みたく、人が変わる(内面的な変化なので外見は変わらないけど)ことって、痛みや不快感を伴うんです。
それを避けてたら何にもならんぜよって、きっといろんな人に言われてると思います。
もしかすると、良かれと思って転ばぬ先の杖を渡しちゃう先人の落ち度もあるのかもしれないけど、先人もちゃんと痛い目見たはずだから、みんな変わる時は痛い目見て、
「痛かったよね~~!!」
って言えた時に、なんて言うか、分かりあえると思うんです。