苦労とか努力とか、時にはそれも必要なのかもしれんけど、どうも日本人は苦労とか努力とか、そんなモノに美学を持ちすぎてると思う。
確かに努力して積み上げることは必要なんだけど、その努力で自分がどうなるのか、どう変われるのかをある程度把握しないと、「努力をするための努力」となってしまってすぐに息切れしてしまう。
- 気合い入れてやり始めたけど全然続かない
- やらなきゃいけないのは分かってるけどできない
そんな想いを少しでも経験したことがあるなら、ちょっと考え方を変えてみるといい。
続かないのは悪くない。
三日坊主って言葉ありますよね。
三日と続かない様な状況をそう言うんですが、やってみて三日で見切り付けるって優秀じゃね?って思うんですよ。
なんでか分からないのにダラダラ続けて、「3年やってますけどまだまだ全然・・・」みたいなこと言う人いますけど、何でやってんの?って思う。
それなら三日で見切り付けた方がいいじゃん。って感じですね。
雑な言い方になってしまったんですが、何事も続けることが大事ですが、「続けりゃいい」ってワケでもないんですよ。
イチロー選手が小さい頃から毎日素振りを1000本やってたという逸話があるんですが、じゃあ1000本素振りしたらイチローみたいになれるのか?って考えると、絶対そこはイコールじゃないんです。
1000本もやったら何か分かるかもしれない、みんながやってないんだから、その向こうには何かがあるのかもしれない。
そんな気持ちでバット振ってたのかどうかは知らんけど、少なくともそんな感じの思想というか、理念というかを持って取り組まないと、続けても意味ないよ!って話です。
で、占い師としての考え方なんですが、人間のスペックは生まれた時に決まります。
コレを読み解く術が四柱推命とか占星術なんかの「命占(めいせん)」と呼ばれるものなんですが、それを見てると
- できることとできないこと
- 得意なことと不得意なこと
- 向いてることと向いてないこと
などが分かります。
リーダーになりたくて血気盛んになってる人もいれば、淡々と資格取って公務員やってる人もいるわけです。
全ての人に当てはまる普遍的なモノなんてのは、時間と死だけです。
なので、続けるのが得意な人もいれば不得意な人もいるわけです。
ガマンして続けるのか、続ける理由が見つかってから続くのか
続けることが素晴らしいと言われてますが、王子はそんなこと思わないです。
「続けること」も細分化できる時代になったんですよ。
そう、ガマンして続けるのか、続ける理由が見つかってから続くようになるのか。
一般的な意味での続けることや「継続は力なり」という言葉は、我慢して続ける側のニュアンスが含まれます。
これはイチロー選手が毎日素振り1000本やったように、1000本やるって決めてやれる人の考え方です。
それを見て、やっぱ継続だよな!と短絡的に考えて「継続!継続!」って言ってる人はハッキリ言って頭の中お花畑です。ヤバいです。変な宗教にハマるタイプです。
その先に光が見えているから頑張れるわけです。だから「結果として続く」ことになります。
妄信の先には何にもありません。だから続きません。
就職して「とりあえず3年続けてみる」という言葉がこの妄信に当たります。
(就職の場合は、辞める理由<とりあえず3年 というバランスなので、理由がなければ辞められない)
だから辞めたくなるんです。
なので何かを続けようと思った時に、
- なんか引っかかる
- 良く分からない不安がある
- ちっとも自信がつかない
こんな状態の人は大至急その我慢から来る継続を辞めましょう。
では、どうすればいいのか?という話ですが、それは先にも書いたように、続ける理由が見つかってから続くようになればいいんです。
続けることができない人はきっと心当たりがあると思うけど、意識的に続けることが難しいんです。
だけど、好きなことや興味のあることは無意識的に継続しています。ただ、そこに自信とかプライドが乗ってないだけで。
なので、続かないことをコンプレックスに感じやすいんですが、全然そんなことはないんです。適切なアプローチができていなかっただけなんです。
続けるための理由を見つけよう
続けるためには、そこに向かうためのゴールや理想が必要です。
ただ、始めてみてそのゴールや理想とのギャップが大きすぎて「こりゃしんどいや」って思ってやめてしまうのが、いわゆる続かないタイプです。
また、途中で目移りして他事をやってしまって続かないタイプもあります。
そんな人達は「続けるための理由」、つまり好きになるとか面白いとか、ゴールや理想よりも手前にある目先のエサを見ることが大事なんです。
コレをやってる時の自分が好きとか、そんな不純な感じこそ大事なんです。
続けることが正義で、続かないことが悪みたいに言われてますが、全然そんなことないです。
続けることが正義なんて発想は、「続けること」の定義が人それぞれだってことを分かってないヤツらの言葉なんですよ。
止まっても再開すればいいし、結果として「続いてた」のであればそれでいいし、そもそも目的は続けることではなくてそれが「できるようになること」のはずです。
「できるようになること」の導線として「続ける」があるだけなので、続けることだけにフォーカスしすぎるとバカ見ることになりますよ。
それに、止めてみないと分からないことだってたくさんあります。
恋愛だって、別れてから気付く大事さとかあるじゃないですか。それと一緒です。
続けるために続けることなんてのはナンセンスなんですよ。
そんな苦しいことはもうしなくていいんですってば。